高松高等裁判所 昭和46年(う)248号 判決 1972年2月29日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、記録に編綴してある弁護人熊野一良作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
所論は要するに、原判決は判示第一において、被告人の運転する普通乗用車と多田実の運転する自動二輪車とが接触事故を起すに至つた原因につき、右は被告人が、判示交差点手前約六メートルの路上で右折するにあたり、自動車運転者として業務上遵守すべき後方の安全を確認すべき義務と交差点中心直近内側を右折すべき義務とを怠つた過失によるものである、と判示しているが、被告人は本件三差路のほぼ中心と推定される地点から二九・七メートル位手前で右折の合図をし、かつ時速三〇キロメートル以下に減速して右折の準備態勢に入り、右前部のバツクミラーを注視したが被害車両を認めなかつたので約一三八メートル進行した箇所で右折を開始したものであり、被告人の右行動は安全確認としては十分であり、本件事故は、被告人が右のように右折の準備態勢に入つているのを知りながら、猛スピードで被告人を右側から追い抜こうとした多田実の一方的過失によるものであり、被告人としては右折の準備態勢を整えたうえ右折を開始したので、後進車がこれに気付き、適切な行動に出ることを信頼して行動すれば足り、強引に自車の右側を突破しようとする車両のあることまでも予想したうえで後方の安全確認をなすべき注意義務まではなかつたものというべく、また、被告人が右小廻りで右折した点も、それが道路交通法三四条二項の違反によることは別として、本件事故との間に何等因果関係はないものというべきである。以上の次第で原判決は事実の認定を誤り、かつ、法令の解釈適用を誤つたものであり、この誤りは判決に影響を及ぼし破棄を免れない、というのである。
よつて記録を調査し、当審における真実取調の結果をも参酌して検討するに、本件事故の現場は、幅員八・五メートルの東西に通ずる通称長尾街道と呼ばれる県道と池戸商店街に通ずる幅員約四・一メートルの町道とが交差する三差路で、町道の県道に接する部分は角切りされて広くなつており、見とおしは良好であつた。事故当時の交通量は、朝の出勤時であるため、県道を高松市の方向に進行する車両が多く、被告人の前方にも後方にも同方向に向う車両がつらなつて走つていたが、対向車は稀であつた。被告人は右三差路で右折すべく、右交差点の中心点から約二九メートル手前で右折の合図をし、時速約三〇キロメートルに減速して約一八メートル前進したうえ、同所は交差点の東入口から約六メートルも手前であるのに、対向車がないことと前記町道への見とおしも良好であることに気をゆるし、後方に対する安全を確認しないまま、前記速度で右折を開始した。一方多田実は、自動二輪車で同方向に進行していたが、被告人が右折の合図をしたころには、前車を追い越すべく道路の右側部分に出て時速約六〇キロメートルで走行しており、被告人に追随していた三台の車両の最後尾車(吉田恵の車両)を既に追い抜いていたのであつて、同人としては被告人の右折の合図に気付いていたとしても、被告人に続く車両がまだ二台もあるので左側に避けることは困難であり、被告人が道路交通法に違反して交差点手前約六メートルで徐行もせずに右折を開始するとは思わず、従つてそのまま進行を続けても被告人の右折開始前に無事追い越しができるものと考えて進行したものと考えられる。ところが被告人が前記のように交差点手前で右折を開始したため、交差点手前約三メートルの地点(司法警察員作成の実況見分調書によると被告人の車両の右のスリツプ痕の始点が交差点入口からやや東へ寄つた地点であり、衝突地点はそれからさらに二・七メートル東へ寄つた地点であるので、同地点は交差点入口から約三メートルの地点であると認定できる)で多田実の二輪車と接触したものである。
以上の認定事実からすると、被告人がもし後方の安全を確認し、交差点手前での右折を差し控え、道路交通法の規定するとおり交差点の中心附近まで進行したうえ徐行して右折しておれば本件の事故は優にこれを避けることができたものと考えられる。そして右のような措置をとつて事故の発生を未然に防止することは自動車運転者に課せられた当然の注意義務であると考えられるので、原判決には論旨のいうような事実誤認または法律解釈適用の誤りはない。従つて論旨は採用できない。
よつて、刑訴法三九六条、一八一条一項本文により、主文のとおり判決する。